「勉強が楽しくなる楽習(がくしゅう)入門」〜家庭と教室に【対話】が生まれ、親【子】教師が学び好きになる本〜
             杉森 至 著

            −「智球」に生まれた子ども達へ−

このところ「教科横断的」という言葉をよく聞く。単元配列表を並べ比べてみたり、内容の類似性で教科と教科をつないでみたりする試みを始めている学校もある。しかし、日本の近代教育の最も初期にも同様の考え方が存在していた。日本初の近代式小学校は沼津兵学校附属小学校だ。この学校の校長であった西周は子どもの学びは「環学的」であるべきだと主張していた。この思想を「百学連環」という言葉で表している。各教科の学問はばらばらに存在するのではない。多層多用に繋がり合っている。そして、その学問の環の中に子どもを置くことで学びが成立すると周は考えたのであろう。横断を超えた「環学」という思想は、今でも通用すると言えるだろう。

 そもそも教科とは、学問の系統性を生かして、教えやすく内容を構成した科目である。ところが、生活の中で出会うリアルな問題は教科別に分かれてはいない。最近の自分の生活を振り返ってみても、あの問題は数学、あの問題は理科だったという様に教科の知に還元することはできない。知識だけでなく感情面や価値感、他者との関係など多様な要素が現実課題には含まれている。

 では、教科型の学習と生活、そして子どもの生活を環学的に結び付けて行くにはどの様な方法が考えられるであろう。そのヒントを与えてくれる本が「勉強が楽しくなる楽習(がくしゅう)入門〜家庭と教室に【対話】が生まれ、親【子】教師が学び好きになる本〜杉森 至 著 教育報道出版社」がそれだ。内容は「国語編」「算数・数学編」「理科編」「社会科編」「外国語編」という様に教科別に分かれている。そして、その各編の間を「コラム」が繋いでいる。各教科編では、小学校で教える内容の背後にある知識や問いかたが紹介されている。もの知りになるだけでなく、「訳知り」になれる内容だ。例えば国語では漢字の成り立ちや読みの面白さ、学び方だけでなく国語を学ぶ時の問いの立て方も紹介している。各教科編は子どもだけでなく、小中学校の教師が自らの教科横断的な知を捉え直す上でも参考になる。また、教科横断的に教科を教える上でも参考にすることができる。智の星である「智球」に生まれた子供たちに宛てた著者の学びのエッセンスがこの本の中にある。

 そもそも、教科の為に子どもや教師がいる訳ではない。子どもや教師が学び、教えやすくするために教科があるのだ。子ども向けのわかりやすい筆致ながら、教師や保護者の読書にも耐える内容だ。そして、家庭でも学校でも、子どもと親子-教師の対話の材料となれば、筆者の思いに叶うことになるであろう。